COMPANY
会社概要
新日本工機株式会社
新日本工機は世界有数の大型工作機械メーカーです。
大阪府堺市にある信太山工場で作られた数々の機械は世界中の様々な産業で使われ続けています。
これからも「30年間、お客様とともにものづくりの改善を続けられる」会社として成長を続けていきます。
特長
120年の歴史
1898年に前身の若山鐵工所として創業して以来120年以上にわたって工作機械を作り続けてきました。創業当時からのベンチャー精神を持ち続け、世の中になかった新しい機械と価値を生み出し続けています。
東の池貝、西の若山鐵工
1889年に国産初の旋盤を生み出した池貝と新日本工機は2016年にグループ会社となりました。19世紀末、旋盤と言えば「東の池貝、西の若山鐵工」でした。日本で最も歴史のある2社がグループとなり、今は最先端のものづくりを支えています。
技を磨き続ける
新日本工機の機械はお客様とともに創りあげられてきました。国産初の門型加工機も自動車メーカーの生産技術担当の係長の「高精度の穴開けがしたい」の一言から生まれました。お客様が求めるものづくりを実現するために”技”術と”技”能を磨き続けています。
お客様の現場に行く
新日本工機ではお客様との直接取引を基本にし、お客様の現場にある潜在化した問題を全員で探しに行きます。ものづくりの未来はお客様の現場にある。営業も技術も担当も社長もお客様の現場に行くのが新日本工機のものづくりの原点です。
活躍の場は世界に
新日本工機のお客様は世界中にいます。国によって異なるものづくり環境と機械を使う人の価値観。日本を飛び出てもお客様とともにものづくりの改善に取り組む姿勢は一切揺るぎません。これからもお客様一人一人が求める機械を創り出していきます。
グローバルネットワーク
海外7ヵ国にある子会社が(営業&アフターサービス)が世界のお客様とものづくりの改善を続けるための拠点になります。
会社概要
会社名 | 新日本工機株式会社 (SHIN NIPPON KOKI CO.,LTD.) | ||||||||||||
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設立年月 | 1949年9月(創業:1898年) | ||||||||||||
役員 |
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業種 | 工作機械(マシニングセンタ(門型・立型・横型)、大型旋盤・複合加工機・専用機他) 産業機械 各種ソフトウェア 遠心力鋳造管 上記の製造・販売 |
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資本金 | 100,000千円 | ||||||||||||
従業員 | 単体:682名(2024年1月) 連結:805名(2024年1月) |
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本社所在地 | 〒590-0157 大阪府堺市南区高尾2-500-1 アクセスはこちら | ||||||||||||
代表TEL / FAX | TEL.072-271-1201 / FAX.072-273-5594 |
沿革
混沌からの誕生
1890年代、日本国内は軽工業の産業革命に突入しており、創業の祖である若山瀧三郎もその潮流の中にあった。当初より、高い技能と先見の明を有していた若山は、ポンス(打抜)機の下請け作業を生業とし、作業効率を進化させるための改良や、手廻し6フィート旋盤を開発するなど着実に技術力の下地を備えつつあった。
日露戦争期、重工業が勃興し始めると、工作機械の将来性に着目し始め、ネジ切り装置を取り付けた英式ギヤボックス旋盤を開発。第一次大戦中には先の6フィート旋盤の大量受注を受けたことで「若山旋盤」は一気に世界的知名度が高まり、大正期には「東に池貝、西に若山」と評される代表的な工作機械メーカーへと成長した。
若山旋盤で得た名声と利益金をもとに工員養成所の開校と現工場でもある信太山工場の建設着工から程なくして若山瀧三郎は急逝した。
基礎の確立
信太山工場が操業開始すると第二次大戦の煽りを受け、工作機械需要は急増し、工場の規模も拡大の一途を辿ったが、終戦を機に一気に縮小した。改組・改称を繰り返す中で、1949年に「新日本工機」が設立された。
当初は山岡内燃機(現ヤンマーディーゼル)の傘下で部品加工に従事していたが、大和製罐・山口久吉社長の目に留まり、若山鉄工所時代に積み重ねた工作機械技術こそが復活への最善策として、ラジアルボール盤の製作着手に踏み切り、工作機械の本格的な生産が開始することとなる。さらに、八幡製鐵(現日本製鐵)の資本参加等があり、素材から製品を一貫生産できる体制を整えるため、1950年に大阪府岬町に岬工場が完成する。
大型加工機への挑戦
モータリゼーションの勃興を見せ始めた1960年初頭、当時の手法では金型加工の精度に限界を感じていたトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の要請に応える形で立中ぐりフライス盤RB-Ⅱ型を開発。その後、さらに大型となるRB-Ⅳ型機を開発。これが日本の大型門型加工機の原点となり、「大型機の新日本工機」としての地位を確立していきました。
米国で数値制御(NC)開発が進むと工作機械にも導入が始まり、新日本工機も大型工作機械のNC化を実現。世界有数の大型工作機械メーカーであるワールドリッヒ・ジーゲン社やビンズ・マシナリー社と技術提携し、超大型となる旋盤や門型加工機の技術を確立していった。
一方で、既に稼働していた岬工場では金型を用いた遠心力鋳造管の生産を他社に先駆けて導入した。
技術の興隆
自動車産業への参入を果たした後、新日本工機の大型加工機の数々は日本の高度成長とともに製鉄・航空機・造船といったあらゆる基幹産業への進出を果たしていった。それに伴って、大型工作機械を効率的かつ高品質に製造するための生産技術の革新も進んだ。従来は手作業でキサゲをする必要があった摺動面加工を機械加工に置き換えるミラーサーフ技術を開発し、大型機の生産性を一気に向上させた。また、部品単体の精度を限りなく高め、部品の積み上げだけで機械を完成させる積木方式の採用、機械を総組みせずユニット状態で顧客へ出荷するユニット出荷を実現した。これらの技術が大型機の新日本工機を支えている。
その後、側面加工ができるアタッチメントを装荷できる5面加工機を開発し造船・重電や工作機械等の大手メーカー各社に納入された。1987年には金型加工に特化したDC機を開発、自動車金型加工に大きな生産性改善をもたらした。
そして次世代へ
「良い製品は良い環境から創出される」。2000年から10年かけて信太山工場の恒温恒湿化に取り組み、加工ラインのFMS化、クリーンルームや技術センターの新設などを推進し、より高精度なものづくりができる環境を構築した。
高精度につくられる多様な機械の性能を100%発揮させるために、1990年代からはソフトウェアの開発が強化された。金型加工で求められる高速・高精度・高品位を高次元で実現する制御システムDCS(Dynamic Control System)は1986年に開発され、2021年にはVerⅧまで進化を遂げ、金型加工ひいては自動車づくりの進化に貢献を続けている。2000年にはIoTの先駆けとなるIntelligent PCをリリース。それまで人の経験と勘に頼っていた加工状態の分析の可視化を実現し、加工現場の改善や予防保全に大きく貢献している。2021年には機械のリモートメンテナンスなどのソリューションをパッケージにしたSi-Solutionを工作機械に標準搭載し、変化する働く環境にいち早く適応。お客様のものづくりの改善を実現するための技術開発は止まることなく進められている。